André Gide ‘Les Nouvelles Nouritures (1935)’ / アンドレ・ジッド 「新しき糧」 (新潮文庫、1936) 堀口 大學訳

André Gide ‘Les Nouvelles Nouritures (1935)’ / アンドレ・ジッド 「新しき糧」 (新潮文庫、1936) 堀口 大學訳

book information / 本の情報

作家:André Gide / アンドレ•ジッド
作品:Les Nouvelles Nouritures (1935年) / 新しき糧 (新潮文庫、1936年)
訳者:堀口 大學

review / レビュー

レビューは行わない。アンドレ・ジッド 「新しき糧」 は絶版となって久しい。素晴らしい本なので再販を望むも、未だそれは果たされない。本書には美しく力強い言葉に溢れている。少しでも多くの方に本書の一端に触れていただけたらと思い、私が響いた言葉たちを、いかに書き写す。

quote / 引用

・第一巻
p.9.人類が幸福のために生まれてきていることは明らかにあらゆる自然が教えている。

p.14僕はもう待たない!僕はもう待たない!障害物の多い道よ。僕は我武者羅に乗り越える。いよいよ僕の番だ。

p.19僕は今これを書く、後日、16歳の日の僕に似て、しかもより自由で、より成熟した一人の少年が、この書の中に彼の切実な質問に対する答えを見出し得るようにと。だがしかし、その時の、彼の質問は、果たして何であろうか?僕は自分の時代と大した交渉を持たない、また同時代人の慰みごとが大して面白かったことは一度もない。僕は今在る者の彼岸に心を牽かれる。僕は我武者羅に通り過ぎる。今日、僕らにとって、死活の大問題と思われるような事がらが、意味さえ無くなってしまう時代がやがて来るような気がする。

p.23幸福になる必要なんかありはしないと自分を説得することに成功したその日から幸福が僕の中に棲み始めた。そうなのだ、幸福になるには何ものも必要でないと説き伏せたあの日からだ。利己主義に一打ち鶴嘴を打ち込んでみると、いきなり僕の心臓から、いかにも多くの歓喜が溢れ出たので、どうやら僕には、あらゆる人たちにこの水を分ち与えることができるとさえ思われたものだ。そして僕は、自分の幸福を天職だと考えるようになった。

当時、僕は考えたものだった。若氏も君の魂がやがて君の肉体から離れなければならないものなら、君の歓喜を一時も早く成就すべきだと。若しも、魂が不死のものであったりしたら、君は未来永劫に君の感覚とは無関係なものに拘わっていなければならない羽目になるかもしれないのだから?君が今、通過しつつあるこの美しい國、これを君は蔑もうとするのか。そこに満ち溢れている快楽を、君は拒もうとするのか。やがてそれが君から奪い去られるという理由で?君の通過が迅速であればあるほど、君の眼は余計に貪欲であるべきだ。君の逃亡が慌ただしければ慌ただしいほど、君の抱きしめは火急であるべきだ!一瞬の恋人でしかない僕なのに、どうして、待ち続け得ないとわかっているものを、かりそめに抱きしめたりするわけがあろうか?變わり安い魂よ、急げ!そして知るがよい、世にも美しい花は、同時にまた、世にも凋れやすい花であると。疾くその花に身を寄せて匂いを嗅げ。凋れることのない貝殻草には匂いが無い。

本来陽気な魂よ、今日より後は、君の歌の清らかさを濁すもの以外なにも怖れるな。
僕は今にして知った。不易の中に流行があると。神は物質に宿らずに愛に宿ると。
今にして僕は、一瞬の中に、閑寂な永劫を味わう術を知った。

p.27僕の心の感謝が、毎日僕に神を発明させる。僕は朝、目が覚めた瞬間から、自分が存在しているという事実に驚きの目を瞠り、絶えず自分に驚嘆しつづける。悲しみの終わりの歓喜が、なぜ、歓喜の終わりの悲しみほど大きくはないのだろうか?その理由は、悲しみのうちにある時、君はその悲しみのために失われる君の幸福を思うが、幸福のうちにある時、君は自分がその幸福のゆえに免れた苦痛を思うことが全然ないからだ。つまり、幸福であることが君の本来の面目だからだ。

p.28躓く恐れが、僕らの精神を理論の手摺にとり縋らせる。世の中には理論があるが、同時また理論の範囲には入り難いものもある。(没理論は僕に堪え難いが、理論ずくめも僕には我慢できない。)

p.29僕は現に、自分の過去にひどく煩わされている。昨日の自分であったものによって決定されない行為というものは、今日の自分には何一つ無いありさまだ。今この瞬間に、自分であるところのものが慌しく、はかなく、そして取り戻す術もなく、失われていく…あぁどうしたら、この自分自身から逃れることが出来るだろうか!僕はまず自分の自尊心が僕を追い込んだこの柵を飛び越えよう。思いきり大胆な冒険に向かってだ。而も明日の僕には何の拘泥も與えない冒険に向かってだ。
僕の精神がこの拘泥という言葉につまずく。僕らの行為から生まれる拘泥、僕ら自身に対する拘泥。僕には自分というものから、結果以外の何物も期待し得ないのだろうか?拘泥だの、義理間の、どれもみんな予めつけられた道だ。僕はもう歩きたくないのだ、僕は跳ね上がりたいのだ、ひと踏ん張りで自分の過去を拒みもし、否定もしたいのだ、僕はもう約束に縛られたくないのだ。僕は約束しすぎている。未来よ、僕は君に不実であって貰いたい!

p.30おお、新しい不安よ!まだ現れない疑問よ!…..昨日の僕の苦労が、僕を疲労させた。僕は苦杯を舐め尽くした。僕はもうその功徳を信じない、そして僕はまじまじと今、未来の深淵をのぞき込む、眩暈もなしに。奈落の風よ、この僕を吹き飛ばせ!

p.31果実の成熟を、君は何によって見知るか? - それが木から落ちるによってだ。すべてのものは、贈与のために熟し、喜捨によって完成する。美味に満ち、快楽に包まれた果実よ、僕は知っている、芽吹かんがためには、君が自己を放棄しなければならない事を。死ね、死ね!君をとり巻くその優しきものよ。甘味にしておびただしい果肉よ、死ね!それはもと地のものだ。君を生かすために、それは死ぬべきだ。僕は知っている、「一粒の麦もし死なずんばただ一粒にてあらん」と。ああ、主よ!死をまたずして我を死なしめ給え。

あらゆる美徳は、自己放棄によって完成される。果実の極端な美味は、芽吹かんがためである。真の雄弁は、雄弁を放棄する。個人は自己を忘却した時ほど、自己を肯定主張する時はない。自己に拘泥する者は自己を阻む者だ。美人が自ら美しいと知らない時ほど僕の心を打つことはない。最も感動的な線は、同時にまた最もつつましい線でもある。

p.48僕の場合は独占的な所有が耐え難いものになった。僕の幸福は与えることから成り立っている。こうして置けば死も僕の手から大した物は奪いはしない筈だ。

・第二巻
p.70世界及び人生に対するなんと言う愚かな理解が、人類の不幸の原因の四分の三を成しているのであり、また過去に対する執着のために明日の悦びは今日の悦びが席を譲らなければあり得ないこと、一つの波の美しさは、前の波が退いてくれるがためであり、花は全て診になるために萎む義務があり、また実は落ちて死ななければ、新しい花ざかりを準備しえないのだから。いわば春さえが、冬の喪を土壌にしていると知りたがらないということは、さて嘆かわしいことであるわい。

・第三巻
p.90僕は信ずる、この場合も他の場合同様言葉が人を欺くのだと。何故かというに、言葉は人生の実際以上の理論を強いる場面がしばしばあり、そしてまた人間の最も貴重な本質は、表出されなかった部分にあるからだ。

p.93僕が今苦しんでいるのは”Non acti”即ち「なさなかった行為」の悔いだ。若い間に僕に為し得たであろう事、僕の為すべきであった事、而も自分のモラルに妨げられて出来なかった事の後悔だ。(中略)そして今日僕が若し公開するとしたら誘惑の中の二、三に身を委せたことではなくて、夥しい数の誘惑に抵抗して来た事だ。僕はすでに遅すぎる時になって、すでにそれがその美しさを失い、僕の思念にとって利益が薄らぎかけた時になって、僕はそれを追いかけ出したのだ。僕は後悔する。自分の青春を暗くして来たことを。現実よりも空想を愛したことを。人生に背を向けていたことを。

p.95「あぁ!僕等がしなかった事、そのくせやれば僕等にも出来た事なのに」と,こうまさに人生に別れを告げようとするその瞬間、彼等は思うことだろう。「僕等が為すべきであったのにそのくせ僕等がしなかった多くの事!」世間の思惑や待機や懶惰や「なぁに!何時だってやる時はやるさ。」と陽気に構えることやで、やらなかった箏。掛替えのない、二度と来ない瞬間を毎日捉えなかったことを悔いて、決心を、努力を、抱擁を後日に延ばしたことをくいて。過ぎ行く時間は、再びは帰らない。「おぉ!のちに来る者よ、君はもっと上手にやれ、瞬間を掴め!」と彼らは思うだろう。

p.96 僕は自分の今いるこの空間の一点に、今のこの一瞬に位置を占める。僕には空間と時間とが十字形に交わるとしか思えない。僕はながながと両腕を伸ばす、僕は言う、向うが南であり、向うが北であると…..。僕は結果だ、僕は原因でもあるはずだ。しかも決定的原因で!二度と再びは決して無いはずのチャンス。僕は存在している、しかも僕は自分の存在の理由を見いだしたいのだ。僕は知りたいのだ、なぜ自分が生きるかを。

p.97世間の目に馬鹿らしく映りはしないかという怖れが僕らに途方もなく臆病な行為をさせる。

勇気に満ちていると自信していた若者達の意気込みが、どんなに多く彼等の新年に課せられた「ユウトピア」鳴る一語と、常識人の目に夢想家として映る箏を怖れる心のために忽ちにしてふにゃふにゃになってしまったことだろうか。

人類の進歩のめぼしいものは、すべて実現されたユートピアでなぞないかのように!
明日の現実は今日と昨日のユウトピアで作られるべきでなぞないかのように。
未来が過去の単なる繰り返しであることを承認するかのように。

(若しこれが事実だとしたら、これ以上に僕から生きる楽しみを奪い去る力のある思想は他には無い筈だ。)

そうなのだ、進歩が可能だという考え方なしには、人生は僕にとって何の意味もないものだ。だから『狭き門』のアリサの言葉、「どんなに幸福であろうとも、進歩の無い状態は願うわけには行きません…..。それから人をよりよくしてくれない悦びなら、わたしは軽蔑するでしょう。」あれは僕の気持ちだ。

・第四巻

p.106それに僕は知っている、一番響のいい言葉は、同時にまた一番空虚な言葉でもあると。

p.107人間は、初めっから今日ある如きものではなかったおいう事実が、同時に、何時までも今日ある事、昨日ではあるまいという希望を抱かせる。

p.107人間は成るものなのだ

p.109諸君は人類の幸福を、過去への愛着のうちに尋ねようとするのだ、ところが、過去を拒むことによって、過去のうちに役に立たなかった部分を拒むことによってのみ進歩は可能なのだ。ところが諸君はまるで進歩を信じようとしない。諸君は言う、かつてあったものがすなわち今後もあるべきはずのものだ、と。人間は少しずつ逃れ出すべきなのだ、かつて自分を保護したもの、しかも今後は自分の邪魔になるものから。改造すべきは、単に世界のみでなく、人間だ。ところでその新しい人間はどこから現れるだろうか。それは外部からでは決してない。友よ、それを君自身のうちに見いだす術を知れ。しかも、鉱石から滓の無い金属を採るように、この待望の新しい人間に君自ら成ろうとせよ。君からそれを得よ。君が在るものに敢えてなれ。いい加減で安心するな。各人の中には驚くべき可能性がひそむのだ。君の力と君の若さを信ぜよ。絶えず言いつづける事を忘れるな。「僕次第でどうにでもなるのだ」と。

p.111第一の徳は、忍耐だ。

p.116.死は、自分の一生を満たさなかった人にとっては辛い。

p.117.友よ、何ものも信じるな。

p.121.見惚れるだけで満足するな。観察せよ。

p.124.悲哀よ、僕は君になんか敗けはしないぞ!

p.126.かつてあった事より、現にある事が、僕には重要だ。現にあった箏より、あり得べき箏、あるであろう事の方が僕には更に重要だ。僕は可能性と未来を混同する。僕は信じる、あらゆる可能性は存在に向かって務めると。僕は信じる、すべてあり得べき事は、ある筈だと、人間が手伝いさえしたら。

p.128.君のために僕がいまこれを書いている君よ、- かつては僕が、ナタナエルと、あまりにも悲しい名で読んだ君、そして今、若き友と呼ぶ君よ、 - 君の心のうちに何一つ悲しみは許すな。溜息を無駄にするものを、己れ自らのうちより引出す事を学べ。 君自ら得られるものを他人に請うのをやめよ。僕は生きてしまった。今度は君の番だ。僕の青春が続けられるのは今後君のうちにおいてだ。僕は君に権能を譲る。若し僕に君が自分を継いでいると感じることができたら、僕は安心して死ねるはずだ。僕は自分の希望を君の上に繋ぐ。君が男男しいと知ることで僕は悔いなしに生と別れ得る。僕の歓喜を取れ。君の幸福をして万人のそれを増さしめよ。働け、戦え、そして君の変え得る悪は何一つ受け容れるな。絶えず言繰り返して言え、自分次第でどうにでもなるのだ」と。人間に為し得るすべての悪を受け容れる者は多少とも怯懦の誹りを免れない。一度でも君が、知恵は諦めのうちにあると信じたら、信じるのをやめよ。さもなくば、知恵を心掛けるをやめよ。若き友人よ、人々が君に差し出すままの人生を享くるをやめよ。人生はより美しくなり得るとの確信を棄てるな、君の人生も人々の人生もすべて。来世を言っているのではない。いまのこの生命のつらさに耐えるよすがとなり、僕らを慰めるに都合のよい来世がより美しくなるというのでは決してないのだ。そんなものは受けつけるな。人生に於ける苦痛の殆どすべての責任は、神に無くて人間にあるのだと分かり始めるその日から、君はそれらの苦痛に味方しなくなる筈だ。
偶像に、生贄を捧げるな。

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