場所とわたし

「お気に入りの場所」というべきものが私にはある。この状態がずっと続けばいいのにと願う場所。人によって様々だろう。自分の思い出と結びついた特別な場所、行きつけのお店、コミュニティ、あるいは大自然の中だったりするかもしれない。またメタファーとして「場所」と呼んでいるだけであって、それは人かもしれない。古い友人、恋人、家族。もっと言えば、趣味に時間を費やしているとき、も含まれるだろう。現実を少し忘れて没頭できる何か、それらすべて広義の意味での「場所」と言える。あまり広く取りすぎても話が進まない。今回は話したいのは文字通り「場所」についてだ。

単刀直入にいうと、私のお気に入りの場所、それはヨーロッパへ向かう飛行機の中である。年に数回、仕事でヨーロッパへ行く。席は当然エコノミー。狭い空間に10時間以上缶詰になるため、人によってはストレスになることもあるだろうし、喫煙者の方にとっては堪え難い時間かもしれない。なぜ私がでも私が飛行機の中が好きな理由を整理してみようと思う。理由はとても単純だ。

好きなだけワインが飲め、映画を4本連続で観れたり、読みたい本を数冊持ち込めば、腰を据えてじっくり読めるから。そして眠くなったら寝ればよく、頼めば毛布もおかわりのワインも持ってきてくれるから。こんなやりたい放題の贅沢が許されるのは、移動中の飛行機の中だけだ。年に数度しかない奇跡とも言える贅沢な時間。

普段の生活で映画を観ることが億劫になっているがこの時ばかりは、映画を思う存分に観ることができる。飛行機の中という限定的な空間特有の「できることの選択肢の少なさ」がいい意味で存分に効いているわけだ。映画そのものの選択肢も限られるわけだが、いつもの映画選択パターンからはずれ、普段なら選ばない作品に触れられる良い機会でもある。こうした不自由さの価値はもっと認められたほうがいい。と言いながら、映画の選択パターンについては、観たい映画リストをつくっていたりして、それをIpadに事前にダウンロードして持っていったりもしている。

映画は、普段から観られればいうことないのだが、なかなかどうして時間貧乏で手が出ない。約2時間決定づけられた拘束時間が、わたしを億劫にさせる。というのも私は一度観始めたら最後まで観たいのだ、妨げにあわずに、少なくとも自分からは止まらずに。どんなに先が読めようとも、開始五分でどうしようもない映画とうっすら判っていても。

なぜなら、たった一瞬にすぎない表情、佇まい、セリフが為に、他のすべてのどうしようもない時間が、帳消しになり得ることを知っているから。絶対的な時間と、ある種の労力がかかるから、結果どうしても優先順位が低くなる。今まで観たどの映画にも、そういう瞬間が強度、濃度の問題はあるにしろあったから、これまでもあるだろう、という希望的観測でもって映画を観続けているのあり、そこにこそ映画の希望が、多少なりともあると言える。

これは映画の話か。

いや、私が愛してやまない極上の場所が飛行機の中である所以の話である。

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