山景美季 / 主観と客観 IIとわたし

山景美季 / 主観と客観 II

1.山景美季さんの絵について

a.作家:山景美季 / YAMAKAGE Miki
b.作品 : 主観と客観 II
c.補足:2015年8月5日ギャラリーオーにて購入。

2.山景美季さんの絵とわたしの物語

不思議なきっかけでこの絵に辿りついた。

2010年、私はアムステルダムにあるヴァン ゴッホ ミュージアム / Van Gogh Museumにいた。ロシアの友人に誘われて出た旅だった。私は貪るようにゴッホの絵を眺めていた。恥ずかしながらひまわり以外の彼の作品を知らなかったから、多種多様の作品にえらく感動して夢中になった。ゴッホのことをもっと少し知りたくなって、調べてみると、弟のテオとやりとりをした手紙や、彼の日記があることを知った。

数年後に日本に戻ってから、ゴッホの手紙 (岩波文庫)を手に入れ、噛みしめるように、少しずつ読み進めた。その本の中にいるゴッホは、一人の悩める芸術家の卵というべき彼の姿があった。悩むどころではない、苦しんでいた。だが筆は決して止めなかった。作品を作り続けた。そして狂った。

彼の人生の断片を手紙を通して知り、改めてゴッホのひまわりを見たいと思った。次の休日、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館へ行き、「ひまわり」をもう一度見にいくことにした。そこには決して枯れることのない永遠の「ひまわり」が咲いていた。本にあった書簡のやりとりや、ゴッホの日記を反芻しながら飽きるまで眺めた。

美術館のあるフロアからエレベーターで一階に降り、エントランスへ向かおうとしたその時だ。あるフライヤーに目が止まった。それは山景美季さんという作家の個展の開催を知らせるものだった。なぜだろうか、直感で行きたいと感じた。さらに翌週の休日、私はその個展が開かれているギャラリーにいた。そしてなんとその場で絵の購入を決断した。

その時、私の人生で最も辛い時期だった、といっていい。ひたすら暗い毎日を過ごしていた。出口が全く見えなかった。

そんな時だ、ゴッホを読み、ひまわりを眺め、山景美季さんの作品へと辿り着いたのは。

訪れたそのギャラリーには作品が多数飾られていたが、その間に、さりげなく作家の言葉が飾られていた。

その言葉の向こう側にいた作家もまた苦しんでるように感じられた。同時に内なる覚悟も、また滲んでいた。


「なにを描いているのですか」と問われることがある。

いつも「自分でもわかりません」と答えるけれど、「わかりたくないのです」という方が正しいのかもしれない。

描くことを盾にしていることに罪悪感を覚えて、そんな感情を打ち消そうと、描く。

消えなくて、描く。
ただひたすらその繰り返し。

本当は、そんなときを幾度重ねても、消せないことはわかっている。

それでも、もがき、あがこうとするのは、自分の中にある弱さに
気付かないふりをすることが出来ないからだと思う。

消すことができないのなら、背負って行くしかない。

心の底からそう思える時が来るのだろうか。


この絵を見るたびに、苦しんでいたあの頃を思い出す。それでいい。むしろそのために買った。「この苦しみを忘れたくない。この苦しみを抱いて生きる。」そのために。

誤解しないで欲しい。これはそんなに悪い話じゃない。この絵には、私固有の意味が付与されている。その価値は、私にしか測れない。

その意味で、この絵は私の人生のマイルストーンだ。モノがそうした役割を持つことはあるし、持たせることが、ある。

わたしは少し忘れっぽいから、それを受け入れて生きている。

そして毎日のように、この静かで小さな作品を眺めながら、日々暮らしている。

3.関連リンク

a.山景美季 / YAMAKAGE Miki 
b.ギャラリーオー 
c.ヴァン ゴッホ ミュージアム / Van Gogh Museum
d.東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

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