はいじまのぶひこ / きこえる?

はいじまのぶひこ / きこえる?

これは娘のために買った絵本だった。
でも、私のための絵本になった。

「星の王子さま」のように「かつて子供だった大人たち」に捧げられたような本ではないけど、様々な年齢の人が様々な楽しみ方ができ、求めれば大切な気づきに満ちている絵本だ。でも「大人が読む絵本」という手垢にまみれた形容に収まりきらない「何か」がこの絵本にはある。その「何か」について考えてみた結果、今はこの絵本をこういう風に言いたいと思う。

「この絵本は新しい音楽の形である」と。

はいじまのぶひこ : き3こえる? 0

はじめてこの絵本を読んだ時の衝撃を忘れることができない。だって確かに「きこえる」から。この絵本に過度な説明や情報はない。ここにあるのは、最小限の色遣い、研ぎ澄まされた言葉、そして淡い色調と暖かな質感を持ったグラフィックだけだ。「にもかかわらず」なのか「だからこそ」なのか。この絵本を読むとたしかに音が聴こえてくる。一体この音はどこから聴こえてくるのだろう。

この読書体験でまず想起したのがJOHN CAGE (ジョン・ケイジ)の「4分33秒」。音楽史は勿論、わたしにとっても重要な曲で、簡単に言うと「ここからここまでが音楽」と線引きされていた「音楽の定義」を更新・解放した曲だ。

これと同じ役割をこの絵本は果たしてはいないだろうか。

この絵本はすでに忘れてしまったもの、見えなくなってしまったもの、きこえなくなってしまったもの、それらを大切なものとして扱い「きこえなくなってしまった」音を「きこえるようにする」してくれる。この絵本はそんな大仕事をやり遂げていて、それはさながら、私たちの感度をチューニングするかのようだ。

あるいは読み手の存在により完成する楽譜のようなものでもある。しかもその音は、読み手によって聴こえ方が変わる。絵本ではなく、わたしたちの心象風景が奏でているからだ。この絵本を補完するために、私たち自身が音を「ならしている」のだ。

書きながら冒頭の言葉の修正に迫られている。この絵本は広義な意味での音楽ではあるものの、チューナーであり、楽譜である。そしてこのあり方はどこか、詩に似ている。

ジョン・ケイジ以外にもいくつか言葉を思い出した。

Claude Debussy / クロード・ドビュッシーは言った。
「言葉で表現できなくなった時、音楽が始まる。」
この言葉は言い得て妙だ。花が咲くときの音はもはや言葉では表現できない。(昔BJORKが録音したいと言っていた…)ここに擬音語の限界であり、あるいは詩の領域の始まりなのかもしれない。

Wittgenstein / ヴィトゲンシュタインは言った。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」
そう、鳥が木から飛び立つ音に正解はないがゆえに。

Fred Zinnemann / フレッド・ジンネマンは言った。
「仮にメッセージがあったとしても、観客の目にそれが見えてはいけない」
受け手のための想像力の源泉がどこにあるか、彼は知っていて、エゴを抑制した。

村上春樹は言った。
「優れたパーカッショニストはいちばん大事な音を叩かない。」
この例えが言わんとしていることは多くを語り過ぎないこと、直接的に説明し過ぎないことの大切さだと解釈している。

例えば、映画で「悲しみ」を表現しようとするとき、登場人物は「わたしは悲しい」とは言わない。その感情は「逸らした目線」や「首の僅かなうなだれ」といった「悲しさ」を帯びた振る舞いや佇まいなど、非言語的な方法や間接的な言語を駆使して表現される。そうすることで伝わる重みや深さがあるから。でなければ映画に2時間も、小説に400頁も必要ない。

したがって言葉で表現できない「何か」があるからこそ作品は存在する、とも言える。そしてその「何か」は語られないことによって、語られ得る。語リ過ぎないことで生まれる余白。その余白は、解釈の多様性の源泉となり、読み手の固有の体験がそこに居座ることが許され、作品を豊かに彩る権利が付与される。こうしたメカニズムが作用し、読み手と作品とが分かち難いものになっていく。そう、余白は読み手を作品完成の最後のピースにする。

その意味で、俳句や詩の形式、ジョン・ケージの「4’33」、そして本作「はいじまのぶひこ / きこえる?」はわたしにとって同じ系譜に連なっている。

本作品の最後にきこえてくる「あなたをよぶこえ」。わたしをよぶそのこえは、愛らしい娘の声であり、温かい家族の声であり、過去に置いてきたはずのわたし自身の声だった。

自然の音、生きる音、暮らしの音、きこえますか?
あなたをよぶこえは、だれのこえでしたか?

はいじまのぶひこ : きこえる? 02

はいじまのぶひこ / きこえる?について

作 家 :はいじまのぶひこ
タイトル:きこえる?
出版社 :福音館書店
出版日 :2012/03/15

作者 はいじまのぶひこ / 蓜島伸彦について

蓜島伸彦、1970年生まれ。東京造形大学美術学科卒。武蔵野美術大学、愛知県立芸術大学の講師。

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