斉藤 倫 , 植田 真 「えのないえほん」(講談社, 2018年)

えのないえほん 02

胸が締め付けられるような感情の波が押し寄せた本は久しぶりだ。

ある1つのつぶやきで絵本は物語を終えるのだが、
そのつぶやきは、最も切実な、自分の存在を取り扱うつぶやき、であった。
ここで語られる醜さ、そして美しさは一体何を見つめたものなのか。
わたしたち普段語る醜さ、そして美しさは一体何を見つめたものなのか。

もし眼が見えないとしたら、私は美しさを捉えることをできるだろうか。
そもそも美しさとは眼に見えるのか。

そうではなかった。わたしは、眼に見えるものに、知らず知らずのうちに囚われすていたことに気づかされる。
本質的であろうとしていた私は浅はかで上っ面な人間であったことに気付かされた。

この絵本は「醜さ」を語ることで、大切なことを描き出した。
そう、この本は、美しさについて一切語らずに、「美しさの持つ罠」について雄弁に語っている。

それがゆえに、娘にこの本を読むときに、涙が溢れそうになり、
毎回最終頁を声に出して読むことがむつかしい。

長田弘 / 世界は美しいと (2009)

長田弘 / 世界は美しいと (2009)

長田弘「世界は美しいと」 (2009)

book information / 本の基本情報

著 者 :長田弘 (おさだひろし)
タイトル:世界は美しいと
出版社 :みすず書房
出版日 :2009/04/25

review / レビュー

年初に読んだ「深呼吸の必要」を読んで、長田弘がすっかり好きになってしまった。他の作品も読みたくなったので購入する。この詩集も素晴らしかった。まるで日常の風景を美しくしてくれる魔法使いだ。読後に、こうなったら長田弘全詩集を買ってしまおうか、そんなことを考えてしまっている。

「表現じゃない。ことばは認識なんだ。(中略)感情じゃない。ことばは態度なんだ。」
from 『こういう人がいた』

これがそのまま長田弘の詩の中枢を占めている概念なのだろうか。
「ことば」と、こういう向き合い方をしているのだろうか。

「詩人の仕事とは、何だろう?無残なことばをつつしむ仕事、沈黙を、ことばでゆびさす仕事だ。」

この言葉から感じたのは、詩人としての生きることの、恐ろしさだ。なんて凄まじい作業なのだろう。

コアな部分を取り出してしまったが、この詩集は途方もなく美しく、素晴らしい示唆に富んでいて、大切な友人にプレゼントしたくなる本、というのが私の感想だ。

作中には、色んな人物が出てきて大変興味深い。作中の音楽、絵、写真を知ることで、より味わい深いものになるだろう。(実際に音楽を聴きたい方向けにリンクを貼っておく。)
1.Olivier Messiaen / オリヴィエ・メシアン 「Catalogue d’oiseaux (“Catalogue of birds”) / 鳥のカタログ」 From 大いなる小さきもの

2.Bohuslav Martinů / ボフスラフ・マルティヌー 「Double Concerto / ダブル コンチェルト」 From 大いなる小さきもの

3.Caspar David Friedrich / カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ 「Woman at a Window / 窓辺の女」 (1822)
From フリードリヒの一枚の絵

その他には出てくる人は以下である。
Gustave Courbet / ギュスターヴ・クールベ
Georgia O’Keeffe / ジョージア・オキーフ
Ansel Adams / アンセル・アダムス
Frank Lloyd Wright / フランク・ロイド・ライト
Franz Kafka / フランツ・カフカ
Wolfgang Mozart / ウォルフガング・モーツァルト
吉田秀和
Baruch De Spinoza / バールーフ・デ・スピノザ
Fyodor Dostoevsky / フョードル・ドストエフスキー
Wystan Hugh Auden / ウィスタン・ヒュー・オーデン
Glenn Gould / グレン・グールド

画家、写真家、作家、作曲家、ピアニスト、哲学者、詩人、建築家、評論家など様々だ。またあとがきではRoland Barthes (ロラン・バルト)の言葉を引き、本作品の立ち位置を明言している。ここではあえて語らない。気になった人には是非読んで欲しい。

・好きだった詩
窓のある物語
なくてはならないもの
世界は美しいと
人生の午後のある日
大いなる、小さなものについて
ゆっくりと老いてゆく
こういう人がいた
大丈夫、とスピノザは言う
人の一日に必要なもの
雪の季節が近づくと
グレン・グールドの9分32秒

Dosnoventa ”Brotherhood – A year inside Dosnoventa – ”

Brotherhood – A year inside Dosnoventa – について

Dosnoventaとは

Dosnoventa (ドスノヴェンタ)はバロセロナを拠点としたのピストバイクのフレームメーカー。

Dosnoventa BROTHERHOOD 03

 

Brotherhood – A year inside Dosnoventa – について

この本はDosnoventaのメンバーを追いかけた写真集。撮影は同じくバロセロナを拠点とするSERGIO De ARROLAによるもの。

Dosnoventa BROTHERHOOD 01

・Dosnoventa のメンバー

– JUAN GUADALAJARA (founder)
– JUANMA POZO (founder)
– DANI MELO (art director)
– URI BORDES (ceo)

Dosnoventa BROTHERHOOD 04

Brotherhood – A year inside Dosnoventa -内容の一部について

1.New York

Alfred Bobé Jr.の「Look mum no hands!」をもじった「Look mum no brakes!」のコメントが面白い。

Chris Thormannも出ていてコメントがある。

CHARI&COKINASHI CYCLEのダブルネームの帽子を見つけて驚く。

2.Asia (South Korea)

・Naoya Imashiroによるピスト日本史の貴重な証言。2008年に法律の改正に伴い、ピストブームがほとんど終わる。しかし2012年から第2のブームが到来。サブカルとしてではなく、ライフスタイルとしてのピスト。そしてそのタイミングで現れたのがDosnoventaという流れ。

3.Europe (London, Paris, Barcelona, Madrid)

Dosnoventaのオフィスを手がけたJavier J. Iniestaが登場。をDosnoventa定義する二つの要素について貴重な証言がある。Dosnoventaのフィロソフィーともいうべきものの一つが未開拓を追い求め楽しむこと。もう一つが、定常的にリスクを取りつつげること。この不安定なバランスこそが、創造のエンジンになっているらしい。

4.Thanks

Dosoventa
SERGIO De ARROLA
Dosnoventa BROTHERHOOD スクリーンショット

Dosnoventaの特徴について

1.Dosnoventaの特徴は、世界各国でDosnoventaのピストバイクを乗る様を映像を配信することで、ファンを広げている点にある。ピストバイクを製品としてのかっこよさだけでなくDosnoventaのメンバーのライフスタイルを含めて武器にしている節がある。きっと彼らは楽しんでいるだけなのだろう。まずカルチャーの部分。

2.他に見逃せないポイントはフレームをイタリアで製造している点だろう。近年のロードバイクを初めてとしてそのほとんどは、主に台湾で製造されている。そんな中でイタリアの職人による手作りにこだわっている。価格や安定供給含め、これに賛否はあるとは思うが、実行できている事が単純にすごい。マニファクチャの部分。

Dosnoventa BROTHERHOOD 053.Dosnoventaはスペイン語で「290」という数字とを意味し、彼らが作るフレームのジオメトリーにおけるこだわりのBBハイトである 290MMに由来する。BBハイトとは、地面からBB(ボトムブランケット)までの高さのことです。ではBBハイトが自転車の走りにどう影響するのか。

調べて見ると、短距離走が多いピスト競技ならではの、初速性能をあげるためという理由とコーナリングで車体を傾ける際に、ペダルを擦らないようにするためにあるとのこと。前者は正直わからないが、後者はすぐに想像ができる。つまりはライダーとしての部分。

Dosnoventa BROTHERHOOD 06

ライダーであり、ものづくりへのこだわりがあり、アウトゴーイングな社会性のあるクルー。それがDosnoventaだ。

ストリートの物差しは一つ。「それがリアルかどうか」。

そのためにもいつか乗ってみたい憧れのピストバイクの一つだ。

はいじまのぶひこ / きこえる?

はいじまのぶひこ / きこえる?

これは娘のために買った絵本だった。
でも、私のための絵本になった。

「星の王子さま」のように「かつて子供だった大人たち」に捧げられたような本ではないけど、様々な年齢の人が様々な楽しみ方ができ、求めれば大切な気づきに満ちている絵本だ。でも「大人が読む絵本」という手垢にまみれた形容に収まりきらない「何か」がこの絵本にはある。その「何か」について考えてみた結果、今はこの絵本をこういう風に言いたいと思う。

「この絵本は新しい音楽の形である」と。

はいじまのぶひこ : き3こえる? 0

はじめてこの絵本を読んだ時の衝撃を忘れることができない。だって確かに「きこえる」から。この絵本に過度な説明や情報はない。ここにあるのは、最小限の色遣い、研ぎ澄まされた言葉、そして淡い色調と暖かな質感を持ったグラフィックだけだ。「にもかかわらず」なのか「だからこそ」なのか。この絵本を読むとたしかに音が聴こえてくる。一体この音はどこから聴こえてくるのだろう。

この読書体験でまず想起したのがJOHN CAGE (ジョン・ケイジ)の「4分33秒」。音楽史は勿論、わたしにとっても重要な曲で、簡単に言うと「ここからここまでが音楽」と線引きされていた「音楽の定義」を更新・解放した曲だ。

これと同じ役割をこの絵本は果たしてはいないだろうか。

この絵本はすでに忘れてしまったもの、見えなくなってしまったもの、きこえなくなってしまったもの、それらを大切なものとして扱い「きこえなくなってしまった」音を「きこえるようにする」してくれる。この絵本はそんな大仕事をやり遂げていて、それはさながら、私たちの感度をチューニングするかのようだ。

あるいは読み手の存在により完成する楽譜のようなものでもある。しかもその音は、読み手によって聴こえ方が変わる。絵本ではなく、わたしたちの心象風景が奏でているからだ。この絵本を補完するために、私たち自身が音を「ならしている」のだ。

書きながら冒頭の言葉の修正に迫られている。この絵本は広義な意味での音楽ではあるものの、チューナーであり、楽譜である。そしてこのあり方はどこか、詩に似ている。

ジョン・ケイジ以外にもいくつか言葉を思い出した。

Claude Debussy / クロード・ドビュッシーは言った。
「言葉で表現できなくなった時、音楽が始まる。」
この言葉は言い得て妙だ。花が咲くときの音はもはや言葉では表現できない。(昔BJORKが録音したいと言っていた…)ここに擬音語の限界であり、あるいは詩の領域の始まりなのかもしれない。

Wittgenstein / ヴィトゲンシュタインは言った。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」
そう、鳥が木から飛び立つ音に正解はないがゆえに。

Fred Zinnemann / フレッド・ジンネマンは言った。
「仮にメッセージがあったとしても、観客の目にそれが見えてはいけない」
受け手のための想像力の源泉がどこにあるか、彼は知っていて、エゴを抑制した。

村上春樹は言った。
「優れたパーカッショニストはいちばん大事な音を叩かない。」
この例えが言わんとしていることは多くを語り過ぎないこと、直接的に説明し過ぎないことの大切さだと解釈している。

例えば、映画で「悲しみ」を表現しようとするとき、登場人物は「わたしは悲しい」とは言わない。その感情は「逸らした目線」や「首の僅かなうなだれ」といった「悲しさ」を帯びた振る舞いや佇まいなど、非言語的な方法や間接的な言語を駆使して表現される。そうすることで伝わる重みや深さがあるから。でなければ映画に2時間も、小説に400頁も必要ない。

したがって言葉で表現できない「何か」があるからこそ作品は存在する、とも言える。そしてその「何か」は語られないことによって、語られ得る。語リ過ぎないことで生まれる余白。その余白は、解釈の多様性の源泉となり、読み手の固有の体験がそこに居座ることが許され、作品を豊かに彩る権利が付与される。こうしたメカニズムが作用し、読み手と作品とが分かち難いものになっていく。そう、余白は読み手を作品完成の最後のピースにする。

その意味で、俳句や詩の形式、ジョン・ケージの「4’33」、そして本作「はいじまのぶひこ / きこえる?」はわたしにとって同じ系譜に連なっている。

本作品の最後にきこえてくる「あなたをよぶこえ」。わたしをよぶそのこえは、愛らしい娘の声であり、温かい家族の声であり、過去に置いてきたはずのわたし自身の声だった。

自然の音、生きる音、暮らしの音、きこえますか?
あなたをよぶこえは、だれのこえでしたか?

はいじまのぶひこ : きこえる? 02

はいじまのぶひこ / きこえる?について

作 家 :はいじまのぶひこ
タイトル:きこえる?
出版社 :福音館書店
出版日 :2012/03/15

作者 はいじまのぶひこ / 蓜島伸彦について

蓜島伸彦、1970年生まれ。東京造形大学美術学科卒。武蔵野美術大学、愛知県立芸術大学の講師。

石川直樹 / Naoki Ishikawa

石川直樹 ヒマラヤシリーズ

石川直樹によるヒマラヤシリーズ5部作。

1.Lhotse / ローツェ
2.Qomolangma / チョモランマ
3.Manaslu / マナスル
4.Makalu / マカルー
5.K2 / ケーツー

これらの本は少しずつ買い足し、やっと集まった作品だ。発売日順に並んでいるけど、一番最初に買ったのはK2だった。山の存在感の大きさはもちろん石川直樹氏の写真に惚れ込んでしまったことから、集め始めた。その結果、新たな発見に出会うのだが、まずは一つ一つ順に見ていく。

1.Lhotse / ローツェ

NAOKI ISHIKAWA Lhotse
タイトル:Lhotse / ローツェ
出版社 :SLANT
出版日 :2013/10/18

ローツェはエヴェレストの隣にある山で標高は8,516m。世界で4番目に高い山である。なおエベレストの南側にあることからチベット語で「南峰」を意味するローツェと名付けられている。本作は2011年秋と2013年春の遠征の写真によって構成された写真集となる。

Lhotse|Naoki Ishikawa from SLANT
Lhotse|Naoki Ishikawa from SLANT

p.16の写真が好きだ。雄大な山々を背景に、石が積まれている写真で、厳しい自然の中に、ちっぽけな人間の営為が、(祈りといってもいいかもしれない)そこに感じられるからだろうか。

p.34の写真は、思わずハッとしてしまう。こんなところにも動物が、いや生命がいるのかと。

p.41の切り立った崖の美しいこと。ライン、白と黒のコントラスト。これが自然が作りし造形に見とれてしまう。

最終ページ、石川直樹が語る山頂付近でエピソードに、改めて山の厳しさを知る。美しくもあるが、人の存在を許さない場所、それが山なのだ。

2.Qomolangma / チョモランマ

NAOKI ISHIKAWA Qomolangma
タイトル:Qomolangma / チョモランマ
出版社 :SLANT
出版日 :2014/02/20

2001年5月23日、石川直樹氏は23歳で、チョモランマの登頂に成功した。この時、チベット側から登ったため、現地の言葉でエヴェレストを意味する「チョモランマ」という呼び名を尊重している、という記述があった。本作は2013年末から2014年初頭のチベットと、2001年の登頂時に撮影したものによって構成されている。

Qomolangma|Naoki Ishikawa from SLANT
Qomolangma|Naoki Ishikawa from SLANT

p.14に到るまでで、チベットという国と信仰という行為が分かち難く結びついていることが伝わってくる写真が続く。テキストにもこうある。「For them, praying is the same as living. / 祈ることは、すなわち生きることでもある。」

p.20の写真に映るのは原色に彩られた無数の旗。現地の言葉でタルチョと呼ばれる祈りの旗らしい。

p.30の写真はヒマラヤ山脈。かつてこの山脈が海の底にあったなんて想像がつかない。

p.46「(中略)ヒマラヤの山々が眼下に見える。ここより高い場所はどこにもない。」これだけの言葉でこうも心を揺さぶられるとは思わなかった。それは突如、死の匂いを感じさせられてしまったからだと思う。

3.Manaslu / マナスル

NAOKI ISHIKAWA Manaslu

タイトル:Manaslu / マナスル
出版社 :SLANT
出版日 :2014/09/15

マナスルとはネバール中央部にある山で標高8,163m、世界で8番目に高い山だ。マナスルという名前はサンスクリット語で「精霊」を意味するMANASが元になっているそうだ。本書は2012年8月26日から10月6日に撮影された写真で構成されている。

Manaslu|Naoki Ishikawa from SLANT
Manaslu|Naoki Ishikawa from SLANT

p.22 雪山の夜、月の明るさを想像させる。

p.26 生命の存在が感じられない雪と氷の世界。

p.47 今回の遠征中に、雪崩によって10人近い登山家たちが犠牲になったことが明かされる。一体、山に登るとはどういうことなんだろう。亡くなってしまう人と生き残る人の違いは一体なんなのだろうか。

4.Makalu / マカルー

タイトル:Makalu / マカルー
出版社 :SLANT
出版日 :2014/09/30

マカルーはエヴェレストから南東19kmに位置する標高8,463mの世界で5番目に高い山。2013年春と2014年3月31日から6月2日の間に撮影された写真で構成されている。

Makalu|Naoki Ishikawa from SLANT
Makalu|Naoki Ishikawa from SLANT

p.21,22 遠近感がなくなって感じられるがとんでもない距離なのだろう.

p.29 鳥の写真があって驚く。こんなところでも生きているのか。

p.31,32 凶暴な氷と岩

p.39 なんて神々しい写真なのだろう。山登りが神聖な儀式のように思われるほどだ。

p.42 人間ってすごいな、目頭が熱くなってしまう。

p.44 世界でもっとも美しいポートレート。

山の美しさが際立った写真集という印象。本書から、死の香りがしなかったからかもしれない。

4.K2 / ケーツー

NAOKI ISHIKAWA K2
タイトル:K2 / ケーツー
出版社 :SLANT
出版日 :(2015/12/30

石川直樹氏にとって慣れ親しんだネパールサイドではなく、パキスタン側からの登頂を試みた遠征。カラコルム山脈にあるK2の標高は8,611m。エベレストに次いで世界で2番目に高い山である。本書は2015年5月13日から6月4日、そして6月13日から8月19日の間に撮影された写真によって構成されている。

K2|Naoki Ishikawa from SLANT
K2|Naoki Ishikawa from SLANT

これまでの写真集と打って変わって賑やかな人、人、人の写真で始まる。また本作品は最終ページまでテキストは出てこない。写真から自分なりに読み取るまでだ。

p.21 何もない平地に敷かれた一本の道路が山へと伸びていく。

p.38 この写真は一番好きな写真で、いつか見た雑誌から切り取って壁に貼っている。馬、シェルパ、雲がかった山の3つのレイヤーで表現された写真。

p.39 シェルパの履いている靴に驚く。ほぼサンダルじゃないか。

p.42 山を背景にしたシェルパたちの集合写真だろうか。構図が素晴らしい。

p.46 高い標高かつ雪に囲まれながらも、軽装なシェルパに驚く。

以降、美しさと迫力溢れる山の写真が多数収められている。なお登頂としては天候が崩れたことにより撤退している。

5.summary / まとめ

今まではいつか自分もだなんていう甘い幻想や、写真の上っ面だけの美しさばかり見つめていた。しかし、石川直樹氏のこれらのヒマラヤシリーズのすべてに目を通すと、死生観が変わりそうなほど、気持ちが揺さぶられてしまった。

たとえば、きっと私はローツェの山頂に、鎮座する遺体を忘れることができないだろう。彼は帰ってこれない。ずっとそこにいる。この事実は私にとってなぜかとても重いのだ。

死んでしまった彼は山頂へたどり着けたのだろうか。家族は、彼がそこにいると知っているのだろうか。知っていても、誰もがたどり着ける場所ではない。

永遠にも近い断絶がそこにはある。

そしてこの断絶は、私たちと登山家の間にも確かにある。この写真集以降、わたしには山登りという、生き方、生き物がわからなくなってしまった。

石川直樹氏は登山家として「死」を騒ぎ立てず、ボぼそりとしか語らない。それがまた彼にとっての現実をいっそう物語るのだ。

今ちょうど以下の通り、展覧会をやっているみたいで是非行ってみたいと思っている。

石川直樹「この星の光の地図を写す」
会期:2019年1月12日〜3月24日
会場:東京オペラシティ アートギャラリー(ギャラリー1・2)
住所:東京都新宿区西新宿3-20-2
電話番号:03-5777-8600
開館時間:11:00〜19:00(金土〜20:00)
休館日:月(祝日の場合は翌平日)、2月10日(全館休館日)
料金:一般 1200円 / 大学・高校生 800円 / 中学生以下無料

2019/03/17 追記
実際に行ってきました。内容はコチラ

6.link / リンク

東京オペラシティ アートギャラリー
石川直樹 東京オペラシティ アートギャラリー

NAOKI ISHIKAWA / 石川直樹
NAOKI ISHIKAWA website

長田弘 / 深呼吸の必要 (1984)

長田弘 / 深呼吸の必要 (1984)

長田弘 : 深呼吸の必要 (1984)

book information / 本の基本情報

著 者 :長田弘 (おさだひろし)
タイトル:深呼吸の必要
出版社 :晶文社
出版日 :1984年3月20日

review / レビュー

「ハッとする」。

これが私が詩を読む際に、感じることだ。

この「ハッとする」感覚はなんなのか。ふっと耳に息を吹きかけられるような感覚。つまり、予想しなかったささやかな驚きだ。なんの驚きか。すぐ側にあるのに気がつけず、それを教えられた時の驚きだ。詩は詩人にしか感じ取れない何かを乗せて語られる。詩人は、私たちには見えない何かを詩という形で提示する。本書でも著者が好きな詩人を形容して、

「誰にもみえていて誰もみていない、平凡な日々の光景から詩を、帽子から鳩をとりだすように、とりだした。」とあるがまさにそうだ。

瑞々しい感性と、研ぎ澄まされた文字たち。
発見に満ち満ちているが、文章は必要にして、最小限。
やわらかく、かろやかであり、すっと身体に入ってくる。

わたしが好きな詩は次だった。
1.星屑 2.賀状 3.贈りもの

忙しい日々にこそ、手に取りたい一冊。
忙しさの中にこそ、「深呼吸の必要」性があるはずだから。

なお、私はこの本を2011年に購入した。この詩集を手に取るまでに、およそ8年の歳月がかかった。今、このタイミングでこの詩集を読んだからこそ、私はこの詩集を存分に味わえている。そんな気がしている。

STREET PHOTOGRAPHY NOWが教えてくれたこと

STREET PHOTOGRAPHY NOW

著 者 :Stephen Mclaren
タイトル:STREET PHOTOGRAPHY NOW
出版社 :Thames & Hudson
出版日 :2012/1/2

STREET PHOTOGRAPHY NOW 03

きっかけ

「STREET PHOTOGRAPHY NOW」はタイトルの通り、ストリート写真が収められている。自らもストリートフォトグラファーであるStephen Mclaren編集により、世界中のストリート写真家の作品の「今」を納めたものだ。

この写真集は私がロンドンに住んでいた頃に手に入れた写真集であり、わたしが初めて買った写真集であり、私の写真観に、もっとも大きな影響を与えた写真集でもある。

でも具体的にどこで、どうやって手に入れたか、がどうしても思い出せない。きっとその理由は、この写真集からわたしが受け取ったメッセージがあまりにも衝撃的だったからだと勝手に思っている。 (日本に帰国する際、大事に抱えながら、帰ってきたことはし唯一しっかりと覚えている。)

STREET PHOTOGRAPHY NOW 01

そもそもわたしはSTREET PHOTOGRAPHYが好きだ。理由は家から出てすぐの世界を取り扱っているから。わたしたちが暮らす生活の延長線上に位置するものを題材として取り扱っているので、有名なアイコンを取り扱うことも、壮大な景色といった場所としての特殊性はない。(あなたが、金閣寺のそばにすんでいたり、グランドキャニオンに住んでいるのであれば話は別だ!) 言うなれば「日常を切り取ったドキュメント」。そうした「普通の場所」とでもいうべき、いつもの景色から奇跡とも言える瞬間を鮮やかに取り出し、私たちに提示してくれるのがSTREET PHOTOGRAPHYの醍醐味だと思っているし、そんな身近さが好きな点だ。

つまりストリート写真は私たちの暮らしにはユーモアや美しさや奇跡のような瞬間に溢れている、ということを教えてくれるのだ。これは人が生きて行くに当たって、希望に他ならない。私にとってのカメラ・写真の価値はそこにある。

正直、この写真集の内容はピンキリだ。だが間口の広さと振り幅の大きさもまた魅力なのだ。いろんな意味での荒々しさを含めて、私はストリート写真が好きだ。逆にブレッソンの写真は私にとってあまりに完璧すぎて「作品」の匂いを嗅ぎ取る。私はもう少し崩れたもの、何がが欠けているものといった不完全なものに、魅力を感じてしまうのだ。

人の営為を扱う点もSTREET PHOTOGRAPHYの魅力だと個人的には思っている。どこか人間を肯定する力が潜んでいる気配を感じ取ってしまうのだ。編集の妙なのか、私の楽観的なモノの見方なのか、あるいはその両方か。

STREET PHOTOGRAPHY NOW 04

いずれにせよ、この写真集を眺めているとある気づきに達する。「もし『今』がつまらないなら、それは『君自身』がつまらないんだよ。」

「美しさや奇跡はあなたのすぐ側にある。」あとはそれに「気づけるか、気づけないか」だ。そう写真集は教えてくれる。つまり、この写真集は、この世界における幸福のあり方を示唆している。

「君は自分の半径5m内に潜む奇跡のような瞬間を見つける事はできるかい?」とでもいうように。以後、私と幸福の関係も変った。写真は、人の生き方を変える力を持っている。

「さぁ、ここから先は、ただカメラを持って家を出ればいい。」

最後にそう背中を押してくれる写真集。