アンドレ・ジッドの 「地の糧」、「新しき糧」とわたし

アンドレ・ジッドの 「地の糧」、「新しき糧」

アンドレ・ジッド (André Gide,1869年11月22日 – 1951年2月19日)は、わたしが大きく影響を受けた作家の1人。彼の書いた作品「地の糧」(1897年)、「新しき糧」 (1935年)の両作品は残念ながら現在すでに絶版となっており、古本屋でも見つけることは極めて稀と言わざる得ない希少本となってしまっている。また1947年にノーベル文学賞受賞を受賞している一方、その作品はローマ教皇庁によって禁書と認定されている。欲望の肯定、神の取り扱いについておおよそ、折り合わなかったのだろう。

2013年に中古で手に入れた「地の糧」と「新しき糧」は折に触れて読み返しているわたしの大切なほんとなった。読むたびに新しい気づきをしたり、忘れていた大切なことを思い出したりと、自分の状態を把握する物差しのような役割を果たしてる。また好きな文章はノートに書き写したりしていろんな形でこの本と一緒に時間を過ごしている。わたしにとって消費する本ではなく、一緒に年月を重ねていく本なのだろう。そんな本に出会えたということは幸せなことだと思う。

1.地の糧について

作家:André Gide (アンドレ・ジッド) / Les Nourritures terrestres (1897年)
訳1:地の糧 (新潮文庫、1952年) 今 日出海訳
訳2:地上の糧 (角川文庫、1953年) 訳者:堀口 大學訳

ジッドが「地の糧」を書き始めたのは、1895年でつまり彼が26歳ときだ。(今日出海訳のあとがきに記載があった。)1897年の出版ということはアンドレ・ジッドが28歳の時、出版社はメルキュール・ド・フランス社。

また本作は2つの訳が存在している。ひとつは新潮文庫から1952年に出版された今 日出海訳の「地の糧」。もうひとつは角川文庫から1953年に出版された堀口 大學訳の「地上の糧」だ。

訳の違いを知りたくて、こちらも買って見たところ堀口 大學の訳はやや固く、直訳に近いニュアンスを持っていてややぎこちない。今 日出海訳はより現代に寄せた言い回しになっている点が大きな違いだ。
訳のニュアンスがどの程度の違うか、参考までに最も有名な文章と思われる箇所を抜き出してみてみる。

a.今 日出海訳

行為の善悪を判断せずに行為しなければならぬ。善か悪か懸念せずに愛すること。
ナタナエル、君に情熱を教えよう。
平和な日を送るよりは、悲痛な日を送ることだ。
私は死の睡り以外の休息は願わない。
私の一生に満たし得なかったあらゆる欲望、あらゆる力が私の死後まで生き残って私を苦しめはしないかと思うと慄然とする。
私の心中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、満足して、- 或いは全く絶望しきって死にたいものだ。

b.堀口 大學訳

その行為の善悪は判断せずに行動すべきだ。
それが善意ことだか悪いことだかなど考えずに愛すべきだ。
ナタナエルよ、僕は君に熱情を教へよう。
安穏な一生より、なた寝るよ、むしろ悲痛な生活こそ望ましい。
死の眠り以外の休息は僕は希はない。
自分の一生の間にみたし得なかつたすべての欲望、すべての機能が、生き残つてまで僕を悩ましはしないかと僕は怖れる。
僕は希望する、この地上にあつて自らのうちに待機していゐたあらゆる事柄を表現した上で – 満足して – ことごとく絶望して死んで行きたいと。

2.地の糧 英語版について

作家:André Gide / Les Nouvelles Nouritures
作品:André Gide / Fruits of the Earth (Éditions Gallimard, 1917)

英語訳された「地上の糧」(タイトルをFruits of the Earth という)をロンドンのWaterstonesで見つけてきたので、日本語と同じ箇所を抜き出してみる。

c.英語訳

Act without Judging whether the actions right or wrong.
Love without caring whether what you love is good or bad.
Nathaniel, I will teach you febour.
A harrowing life, Nathaniel, rather than a quiet one. Let me have no rest but the sleep of death. I am afraid that every desire, every energy I have not satisfied in life may survive to torment me. I hope that after I have expressed on this earth all that was in me waiting to be expressed – I hope that I may die satisfied and utterly hopeless.

3.新しき糧について

作家:André Gide / Les Nouvelles Nouritures (1935年)
作品:アンドレ•ジッド / 新しき糧 (新潮文庫、1936年)
訳者:堀口 大學

新しき糧は全4巻で構成されている。堀口 大學のあとがきによると、第一巻は歓喜の賛美。第二巻は「神」に対する信念の批判。第三巻はジッド地震による過去の検討と忠告。そして第四巻は人類の進歩の可能性の立証だ。これはつまりジッドの体験から導きだされた「精神的遺書」である。

したがってジッドはこう書き記す。

「僕は今これを書く、後日、16歳の日の僕に似て、しかもより自由で、より成熟した一人の少年が、この書の中に彼の切実な質問に対する答えを見出し得るようにと。」

この2作品は、絶版になっているため、なかなかその素晴らしさが伝わりづらい状況にある本になってしまっている。絶版ゆえ、私が一部テキストをデータ化するなどして、この本を読みたい人たちの役に立てたらと思っている。この本に対してはそんな使命感を感じてしまっている。

コーヒーとわたし その2 カフェ100店舗めぐり

およそ5年かけて、カフェ100店を巡った。(家では毎日ハンドドリップで珈琲を淹れて飲んでいる。)カフェも一つ一つ吟味してみるとひとくくりにできない何かがそれぞれのお店、豆にあり、それらに出会い一喜一憂した。以下は100店舗訪れて、忘れることのできないお店を時系列に記す。

Fuglen Coffee Roasters / フグレンコーヒーロースターズ

FUGLEN」には、ヨーロッパコーヒーの価値観と楽しみ方の自由さを教えてもらった。コーヒーの世界に入り込んだ原点であり、未だに基準の1つになっている。この豆への感じ方が自分の成長の度合いを測る機会でもある。

Fuglen Coffee Roasters
住所:〒151-0063 東京都渋谷区富ケ谷1丁目16−11
電話:03-3481-0884

HORIGUCHI COFFEE / 堀口珈琲

堀口珈琲」には、豆の質、鮮度、そしてそれらをブレンドしバラエティを継続的に作り出す技術力にひれ伏した。シングルオリジン含めいつも良い品質のコーヒーを楽しませてもらっている。

堀口珈琲 世田谷店
住所:〒156-0055 東京都世田谷区船橋1-12-15
電話:03-5477-4142

ONIBUS COFFEE / オニバスコーヒー

ONIBUS COFFEE」には、イイホシヨリコさんの作ったコーヒーカップの形状が味にもたらす影響を学んだ。これはすごいと、すぐにカップを買って帰り、以来愛用している。コーヒーの淹れ方も独特で好ましい。

ONIBUS COFFEE 中目黒店
住所:東京都目黒区上目黒2-14-1
電話:03-6412-8683

KOFFEE MAMEYA / コーヒーマメヤ

KOFFEE MAMEYA」には、濃厚な対話のある店だった。Code Blackのワインを思わせる豆と淹れ方を教えてもらい、コーヒーのさらに広く、そして深い世界を垣間見た。次に行ける日を、いつも楽しみにしている。ここには学びがあるから。

KOFFEE MAMEYA / コーヒーマメヤ
住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4丁目15−3

乙コーヒー

「乙コーヒー」には、特有の静けさがある。その静けさとは店主に由来するもので、このお店以降、「コーヒーとは人格である」。そんな思いが去来している。広い意味での独特の静けさは、サードプレイスならぬ、フォースプレイスといっても過言ではない。

乙コーヒー
住所:101-0021 東京都千代田区外神田2丁目18−13
電話:03-3253-4600

いずれのお店も個性豊かで、他のどことも似ておらず、独自の、自立した個であった。
そして1杯のコーヒーの持っている可能性を広げてくれた存在でもある。

コーヒーは、その一杯を飲むために外出する価値がある。
コーヒーは、落ち込んだ心を慰めることがある。
コーヒーは、空間を作る。
コーヒーは、教えてくれる。
コーヒーは、終わりがない。

そんなコーヒーの可能性を教えてくれたわたしのコーヒーを巡る旅。
きっとわたしはまたこれらのお店に顔を出さずにはいられないだろう。

100というのはただのキリの良い数字に過ぎない。
ただ、こうして僕のカフェ巡りは始まり、終わった。
それは人生そのものだった。

つまりこれからまだ続いていく。
そういうことだ。

番外編 ~珈琲としてではなく、空間として~

Cafe de Flore / カフェ・ド・フロール

Cafe de Flore (カフェ・ド・フロール)
ここに来るのが夢だった。念願のカフェだった。友人のおかげで来ることができた。もはやコーヒーを飲むという行為を超越し、人々が集い議論する場所としてのカフェ。価値に心が震えた。

Cafe de Flore / カフェ・ド・フロール
住所:172 boulevard St Germain , 75006 Paris, France
電話:01 45 48 55 26.

コーヒーとわたし その1

コーヒーとわたし

わたしはコーヒーが好きで、ほぼ毎日と言っていいほどコーヒーを飲んでいる。とは言っても飲み始めたの比較的遅いほうでは20代中盤を過ぎてから。こうやって振り返ると家族の影響というのは少なくないと思わざるを得ない。身近な人でコーヒーを好んで飲んでいる人がいなければ縁は遠くなるからだ。したがって昔の自分からは、ここまでコーヒーを好きになるとは想像もつかなかったというのが正直な気持ちだ。(人生は大概思ってもみない方向に転がって行くものだ。)

コーヒーとの本格的な意味での出会いは2015年に遡る。ある日、友人との食事の待ち合わせ場所に、予定よりも早く着きすぎてしまったことがきっかけだった。珍しく手持ち無沙汰な気分になって、周囲をブラブラしていると近くのカフェがあり、そこで妻と飲んだ一杯のコーヒー。 それが生まれて初めて美味しいと思ったコーヒーだった。店の名前はFuglen。以来、事あるごとにこのカフェを利用し、折に触れては豆を購入している。

以後、私の生活の一部が大きく変化した。必要な機器を買い揃え、毎朝ハンドドリップでコーヒーを淹れるようになった。湯を沸かし、豆を曳き、ドリッパーにペーパーを敷き、粉をセット、そしてお湯を注ぐ。できたら270ml入りの水筒に入れ、職場に持っていく。残りは朝の1杯となる。今や毎日繰り返され、身に染み付いた朝の神聖な儀式のようなものだ。

休みの日は美味しい豆を探して出歩くようになった。ロースタリーを訪れ、一杯飲み、美味しかったらそこの豆で買って帰る。自宅の冷凍庫には、3種類ほどの豆を保管しており、それらその日の気分に応じて同時進行で消費していく。(これは最近見つけた楽しみ方だ。)だから豆を買うとき、一回当たりの購入量を少なくし、色んな豆を味わえるようにしている。いつかお気に入りの豆に出会えるように。

早いものでコーヒーと出会ってから、かれこれ年数が経ってしまった。しかし飽きることなく飲んでいる。むしろその奥深さゆえだろうか、飲むほどに先が見えない感覚がある。しかも相変わらず、美味い。寒い日の朝に飲む淹れたてのコーヒーは格別で、昼下がりに飲むコーヒーは心に落ち着きを与え、夕暮れに飲むコーヒーは、どこか染みるようで、いずれもわたしの生活に欠くことのできないものとなっている。

ある休みの日の朝、私は一足早く目を覚まし、顔を洗う。キッチンに立ち、いつもの手順でコーヒーを淹れる準備をする。頃合いを見計らったかのように妻が眼を覚ます。少ししてから娘の泣き声がして、彼女が目を覚ましたことを知る。私は小さな娘を抱き抱えるとキッチンに戻る。娘の視線はコーヒーに集中する。そしてわたしはゆっくりと、丁寧にドリッパーに湯を注いでいく。左腕と半身に娘の体重そして体温を感じる。小さなリビングにコーヒーの香りが充満していく。

「大きくなったら父さんと一緒にコーヒーを飲もう。」

毎回、同じことを言いながらコーヒーを淹れている。この願いはいつか叶うだろうか。

気まぐれに妻が「私もコーヒーを飲みたい」と言うことがある。でも僕はいつも、密かに2人分を用意していて、彼女がそう言うのを待っている。彼女はそれをきっと知らない。

こんな朝のルーティンが3人で暮らすささやかだけれども確かな家族の時間として私の中に堆積していく。そうして私の一日が始まっていく。この何でもない一日の始まりが、私にとってなによりの幸せな時間の1つであることが「わたしはコーヒーが好き」と言える理由かもしれない。そう、私にとってコーヒーは単なる飲みものを超えた存在となった。それは優しい時間であり、暖かな空間であり、わたしたち家族をか細くもつなぐ何かだ。

そして今日も、寝癖の残る娘を左手に抱きながら、私はコーヒーを淹れ、妻が同じ空間にいる。コーヒーと本格的に出会った2015年、娘はまだいなかった。2人で暮らしたこのアパートに、今は3人で暮らしている。

コーヒーは変わらずそこにある。

山景美季 / 主観と客観 IIとわたし

山景美季 / 主観と客観 II

1.山景美季さんの絵について

a.作家:山景美季 / YAMAKAGE Miki
b.作品 : 主観と客観 II
c.補足:2015年8月5日ギャラリーオーにて購入。

2.山景美季さんの絵とわたしの物語

不思議なきっかけでこの絵に辿りついた。

2010年、私はアムステルダムにあるヴァン ゴッホ ミュージアム / Van Gogh Museumにいた。ロシアの友人に誘われて出た旅だった。私は貪るようにゴッホの絵を眺めていた。恥ずかしながらひまわり以外の彼の作品を知らなかったから、多種多様の作品にえらく感動して夢中になった。ゴッホのことをもっと少し知りたくなって、調べてみると、弟のテオとやりとりをした手紙や、彼の日記があることを知った。

数年後に日本に戻ってから、ゴッホの手紙 (岩波文庫)を手に入れ、噛みしめるように、少しずつ読み進めた。その本の中にいるゴッホは、一人の悩める芸術家の卵というべき彼の姿があった。悩むどころではない、苦しんでいた。だが筆は決して止めなかった。作品を作り続けた。そして狂った。

彼の人生の断片を手紙を通して知り、改めてゴッホのひまわりを見たいと思った。次の休日、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館へ行き、「ひまわり」をもう一度見にいくことにした。そこには決して枯れることのない永遠の「ひまわり」が咲いていた。本にあった書簡のやりとりや、ゴッホの日記を反芻しながら飽きるまで眺めた。

美術館のあるフロアからエレベーターで一階に降り、エントランスへ向かおうとしたその時だ。あるフライヤーに目が止まった。それは山景美季さんという作家の個展の開催を知らせるものだった。なぜだろうか、直感で行きたいと感じた。さらに翌週の休日、私はその個展が開かれているギャラリーにいた。そしてなんとその場で絵の購入を決断した。

その時、私の人生で最も辛い時期だった、といっていい。ひたすら暗い毎日を過ごしていた。出口が全く見えなかった。

そんな時だ、ゴッホを読み、ひまわりを眺め、山景美季さんの作品へと辿り着いたのは。

訪れたそのギャラリーには作品が多数飾られていたが、その間に、さりげなく作家の言葉が飾られていた。

その言葉の向こう側にいた作家もまた苦しんでるように感じられた。同時に内なる覚悟も、また滲んでいた。


「なにを描いているのですか」と問われることがある。

いつも「自分でもわかりません」と答えるけれど、「わかりたくないのです」という方が正しいのかもしれない。

描くことを盾にしていることに罪悪感を覚えて、そんな感情を打ち消そうと、描く。

消えなくて、描く。
ただひたすらその繰り返し。

本当は、そんなときを幾度重ねても、消せないことはわかっている。

それでも、もがき、あがこうとするのは、自分の中にある弱さに
気付かないふりをすることが出来ないからだと思う。

消すことができないのなら、背負って行くしかない。

心の底からそう思える時が来るのだろうか。


この絵を見るたびに、苦しんでいたあの頃を思い出す。それでいい。むしろそのために買った。「この苦しみを忘れたくない。この苦しみを抱いて生きる。」そのために。

誤解しないで欲しい。これはそんなに悪い話じゃない。この絵には、私固有の意味が付与されている。その価値は、私にしか測れない。

その意味で、この絵は私の人生のマイルストーンだ。モノがそうした役割を持つことはあるし、持たせることが、ある。

わたしは少し忘れっぽいから、それを受け入れて生きている。

そして毎日のように、この静かで小さな作品を眺めながら、日々暮らしている。

3.関連リンク

a.山景美季 / YAMAKAGE Miki 
b.ギャラリーオー 
c.ヴァン ゴッホ ミュージアム / Van Gogh Museum
d.東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

場所とわたし

「お気に入りの場所」というべきものが私にはある。この状態がずっと続けばいいのにと願う場所。人によって様々だろう。自分の思い出と結びついた特別な場所、行きつけのお店、コミュニティ、あるいは大自然の中だったりするかもしれない。またメタファーとして「場所」と呼んでいるだけであって、それは人かもしれない。古い友人、恋人、家族。もっと言えば、趣味に時間を費やしているとき、も含まれるだろう。現実を少し忘れて没頭できる何か、それらすべて広義の意味での「場所」と言える。あまり広く取りすぎても話が進まない。今回は話したいのは文字通り「場所」についてだ。

単刀直入にいうと、私のお気に入りの場所、それはヨーロッパへ向かう飛行機の中である。年に数回、仕事でヨーロッパへ行く。席は当然エコノミー。狭い空間に10時間以上缶詰になるため、人によってはストレスになることもあるだろうし、喫煙者の方にとっては堪え難い時間かもしれない。なぜ私がでも私が飛行機の中が好きな理由を整理してみようと思う。理由はとても単純だ。

好きなだけワインが飲め、映画を4本連続で観れたり、読みたい本を数冊持ち込めば、腰を据えてじっくり読めるから。そして眠くなったら寝ればよく、頼めば毛布もおかわりのワインも持ってきてくれるから。こんなやりたい放題の贅沢が許されるのは、移動中の飛行機の中だけだ。年に数度しかない奇跡とも言える贅沢な時間。

普段の生活で映画を観ることが億劫になっているがこの時ばかりは、映画を思う存分に観ることができる。飛行機の中という限定的な空間特有の「できることの選択肢の少なさ」がいい意味で存分に効いているわけだ。映画そのものの選択肢も限られるわけだが、いつもの映画選択パターンからはずれ、普段なら選ばない作品に触れられる良い機会でもある。こうした不自由さの価値はもっと認められたほうがいい。と言いながら、映画の選択パターンについては、観たい映画リストをつくっていたりして、それをIpadに事前にダウンロードして持っていったりもしている。

映画は、普段から観られればいうことないのだが、なかなかどうして時間貧乏で手が出ない。約2時間決定づけられた拘束時間が、わたしを億劫にさせる。というのも私は一度観始めたら最後まで観たいのだ、妨げにあわずに、少なくとも自分からは止まらずに。どんなに先が読めようとも、開始五分でどうしようもない映画とうっすら判っていても。

なぜなら、たった一瞬にすぎない表情、佇まい、セリフが為に、他のすべてのどうしようもない時間が、帳消しになり得ることを知っているから。絶対的な時間と、ある種の労力がかかるから、結果どうしても優先順位が低くなる。今まで観たどの映画にも、そういう瞬間が強度、濃度の問題はあるにしろあったから、これまでもあるだろう、という希望的観測でもって映画を観続けているのあり、そこにこそ映画の希望が、多少なりともあると言える。

これは映画の話か。

いや、私が愛してやまない極上の場所が飛行機の中である所以の話である。

ECM Recordsとわたし

物事に始まりと終わりがある。つまり人生は有限だ。したがって聴ける音楽の数にも限りがある。と言ったら少し大袈裟だろうか。何も音楽に限った話でなく、映画にも、本にも、迎える朝の数、夕日を眺めることのできる回数、夕飯の回数にだって限りがある。音楽が好きなのでたまたまそういう表現になっただけのことだ。

Sheltering Sky ( シェルタリングスカイ)の著者であり、私の好きな作家の1人であるPaul Bowles (ポール ボウルズ)は作中で次のように言っている。

“Because we don’t know when we will die, we get to think of life as an inexhaustible well, yet everything happens only a certain number of times, and a very small number, really.

How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood, some afternoon that’s so deeply a part of your being that you can’t even conceive of your life without it? Perhaps four or five times more, perhaps not even that.

How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps twenty.
And yet it all seems limitless.”

訳文:人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。だが、物事は数回起こるか、起こらないかだ。自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだし、ちょっとしたもっと少ない。あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。だが人は無限の機会があると思い込んでいる。

さて、極端な例を挙げているように聞こえるかもしれないが、「聴く音楽がある」ということは、「聴かない音楽」があるということでもある。つまり選ぶということは、ある可能性を断ち切ることに通じる。当たり前の話だ。聴ける音楽に限りがある、ということは切ない事実だからこそ、才能豊かな音楽家との出会い、素晴らしい楽曲とその作曲家との出会いはこの上ない喜びだし、そうした充実した視聴体験を一層求めたりする。このプロセスの中で絶えず可能性の模索と断念が繰り返されている。

音は発音されてから、時間の経過とともに減衰し、消えていく。したがって音の集合体である音楽もまた同様の運命は避けられない。音楽は時間という牢獄の中で生まれ、終わりに向かって進んでいくかのようだ。また音楽と時間の関わりについて、マスタリングエンジニアであるオノ・セイゲン氏が紹介する形でECM records(イーシーエムレコード)の創業者Manfred Eicher (マンフレート・アイヒャー)の興味深い発言が「ECMの真実 改訂版」(河出書房新社)に掲載されいる。曰く、

「音楽とは時間軸に感情を織り込んだもの」

これが時間という概念についてECM Recordsの考え方を表したものの1つだろうと思う。私は11枚、ECM Recordsの作品を365日かけてを聴き、言語化するというプロジェクトに2016年から2017年にかけて取り組んだことがある。冒頭の言葉を引けば、限りある時間をECM Recordsに捧げた訳だ。それは掛け値なしに素晴らしい時間であったし、まるで美しい旅のようであった。このプロジェクトはManfred Eicherが好んで引用する聖ベルナールの寸言がベースになっている。

“If you wish to see, Listen. Hearing is a step towards Vision.”
「見ることを欲するなら、まず耳を傾けよ。 傾聴することはヴィジョンへの第一歩である」

また次のフレーズはECM Recordsを形容するときにしばしば使用される言葉である。

“The most beautiful sounds next to silence.”

「沈黙に次いで最も美しい音」とでも訳そうか。出所はあるアメリカ人ライターによるECM Recordsの作品のレビューで使われたものだそうだ。しかしこのフレーズはもはやECM Recordsのコンセプトとして流通している。このフレーズのみが抜き出され、が一人歩きすると様々な解釈が読み取れることが出来るが、BGMというよりは、ややストイックさを感じさせ、どこか耳を凝らさなければいけないニュアンスを想起させる。

誤解を恐れずに言えば、ECM Recordsはリスナーに強いるレーベルである。BGMであることを許さず、理由はその静けさ故である。静謐でありながら、音楽的な強度が高く、古典的であるとともに、前衛的でもあり、すなわち個性が強く、片手間で聴いては、片手間な響きしか得られず、そして安易に心を開いてくれない類の音楽。端的に静謐なのに情報量が多い音楽、とも言える。(New Seriesにその傾向が顕著で、だから面白い。)これをひたすらリリースし続けているECM Recordsとは一体なんなのだろうか。

その根本にあるのが創業者でありプロデューサーでもあるManfred Eicher その人間の存在だ。ECM Recordsとは何かを一言でいうと上記に述べたThe most beautiful sounds next silenceではなくもっとシンプルで「Manfred Eicher が聴きたいと思える音楽を聴くレーベル」なのだ。彼が品質管理責任者であり彼なら間違った音源を作らないという信頼がECM Recordsを支えている。

はて、なんの話か。

聴ける音楽の数にも限りがある、という話だ。時代の流れはより速くなり、それに伴い音楽の寿命は著しく短い消耗品となった。しかしECM Recordsは消費されない。むしろ新たな音源が出るたびに新しい挑戦と美しさとが提示され、それに呼応するように過去のカタログたちは、よりいっそうその輝きを増すばかりだ。

音楽が始まり、そして終わるように人の人生がいずれ終わりを迎える。その時は、必ず来る。しかし、僕は限られた時間をリスナーとしてECM Recordsに捧ぐことになんの迷いもない。

モレスキンとわたし

モレスキンとわたしについて 人生に不可欠なものとして

Moleskine (以下モレスキン)を使い始めて10年が経とうとしている。このノートはわたしの人生に不可欠なものとして、文字通り、常にわたしと共にあった。片時も離したことはなかった。わたしの思考を、言葉を、人生全てをこのノートに書きつけてきた。この節目にモレスキンとわたしのヒストリーを整理してみる。

1.Moleskine Weekly Planner Pocket size / モレスキン ウィークリー プランナー ポケットサイズ

essay モレスキン 02
今年で7冊目となるスケジュール帳。左のページに1週間分の予定、右のページがフリーのメモ帳というタイプのものを使用している。1週間単位で予定が管理できる点が、自分のライフスタイルに合っている。

ポケットサイズは、その名の通りポケットに入るので、持ち運びに適していて、わたしにとっては丁度いい。仕様はColour:black, size:pocket, cover:hard / 色:ブラック、サイズ:ポケットサイズ、カバー:ハードカバー。(ポケットサイズの寸法は、縦140mm、横90mm)

2.Moleskine Classic Notebook Pocket size / モレスキン クラシックノートブック ポケットサイズ

essay モレスキン 03 new
このモレスキンには好きな小説の文章や響いた言葉、インスピレーションになるクリエイティブのヒントなどを書き留めている。今年でこちらも7冊目に入った。テーマに沿ったストック情報の集約を果たしていて、旅などに持って行き、折に触れて読み直している。

ここへ言葉を書き写すとき、「これは未来の自分を支える手紙」のようなものだと感じている。折に触れて、ここに書かれた言葉に救われたりするから。今この瞬間に響いた言葉たちではなるが、未来に必要な言葉たちがこのノートには詰まっている。

なお仕様はColour:black, size:pocket, line:squared, cover:hard / 色:ブラック、サイズ:ポケットサイズ、罫線:方眼、カバー:ハードカバー。ハードカバーは頑強でいい。

3.モレスキン クラシックノートブック ラージサイズ / Moleskine Classic Notebook Large size

essay モレスキン 04
日次、週次、月次、年次レビューに使っているラージサイズのメインノート。1日1ページというルールで運用、ペンは0.4mmの太さで4色を使用。それぞれの色に役割を持たせている。

自分なりのテンプレートが長年の積み重ねを経て、ある程度出来上がっていてそれに沿って記述している。「ある程度」というのは、今だに工夫を重ねたり、現在の自分に合わせて微調整をかけ続けているからだ。

例えば2年前から「news」という項目を作っていて、日本経済新聞からその日の一面の見出しを書き写している。この試みを始めた意図は、振り返りの際に、自分の人生だけでなく、時代の空気も一緒に振り返れるように、と思ったからだ。

これらを週次、月次、年次で吸い上げているので、世の中の一年のトピックや自分が追いかけているトピックが掴みやすい。またこういうマイルストーンがあれば記憶の定着もいいという副次的な効果もある。

このラージサイズは適度な大きさのためリュックやカバンに入れても負担になる重さではないし、適度なボリュームを書くことができる。私にとっては素晴らしいサイズ感。

仕様はColour:black, size:large, line:squared, cover:hard / 色:ブラック、サイズ:ラージサイズ、罫線:スクエアード、カバー:ハード。(ラージサイズの寸法は縦210mm、横130mm)

4.Moleskine Classic Notebook XL size / モレスキン クラシックノートブック XLサイズ

essay モレスキン 05

ラージサイズに移行する前は、XLサイズを使用していた。当時は勉強ノートと共用だったし、切り抜きなども高い頻度で行っていたためだ。

わたしがバックパッカーをしていた頃やロンドンに住んでいた頃の話で、モレスキンを持って世界中を旅していた。こちらよりもラージサイズの方が持ち運びなどには適正ているため、現在は使用していない。こういうのも実際に使ってみて初めてわかることだ。また相応しい用途が現れた際に、チャレンジして見たいサイズ感だ。

仕様はColour:black, size:XL, line:squared, cover:soft / 色:ブラック、サイズ:XLサイズ、罫線:方眼、カバー:ソフト。(XLサイズの寸法は縦250mm、横190mm)

5.Moleskine Cahier Journal packet size / モレスキン カイエ・ジャーナル ポケットサイズ

カイエ・ジャーナル ポケットサイズ 01

主に仕事で使用しているメモ帳。ありとあらゆることを、その場その場でこのポケッサイズのカイエに書き込んでいる。こちらは常にスケジュール帳のweekly plannerとセットで動かしている。記入ボリュームもうまい具合に1ヶ月1冊で使い切れているので、年12冊ほど使っている。

カイエ・ジャーナル ポケットサイズ 02

カイエに書き込んだメモをもとに、日次でラージサイズのクラシックノートブックへとレビューを行うのがわたしの仕組みだ。仕様はColour:black, size:pocket, line:squared, cover:cardboard / 色:ブラック、サイズ:ポケットサイズ、罫線:スクエアード、カバー:カードボード。

6.Moleskine Reporter Notebook packet size / モレスキン リポーターノートブック ポケットサイズ

リポーターノートブック ポケットサイズ 01

長年上記のようにモレスキンを運用している中で、新しい試みがこちら。プロジェクト毎に使用し、進捗の管理を行う専用のノート。自分のライフスタイルの変化に合わせて使い方もまだまだ検討していきたい。

リポーターノートブック ポケットサイズ 02

一文を長くかけるようにリポーターノートブックを横向きで使用。最近だと主にドイツ語の勉強をこのノートで行なっている。仕様はColour:black, size:pocket, line:squared, cover:hard / 色:ブラック、サイズ:ポケットサイズ、罫線:スクエアード、カバー:ハード。

モレスキン 山

こうしてみるとモレスキンはわたしの人生と深く繋がっていて、欠くことのできないノートになっていることを改めて実感する。